こんにちは。
私はバツイチで実家に住んでいる31歳の女性です。
子供はいません。
今は実家に戻って両親に世話になりながら仕事をしていますが、小さい時から実家が落ち着かず、今現在も何だか親の顔色を見ながら生活することがしんどいと感じます。
友達には「親に気を使うなんて…」と笑われますが、どうしても居心地が悪いんです。
例えば母が忙しそうに眉間にしわを寄せて家事なんかしていると、手伝わなくてはいけないと思いソワソワします。
でも、仕事で疲れていたりするとどうしても手伝う気にもなれず、ただ不機嫌な母を見ているのですが「私って役に立たないな…」と罪悪感を感じます。
父も何もかも母任せの人なので、母が大変そうだなと見ているばかりです。
仕事でも頑張りすぎたのか、心身の不調がひどくなってうつで休職した経緯もあり、仕事でも役立たずだ考えて、辞めたいとも考えてしまいます。
人間関係も気を使ってしまって気が張り詰めてつらいです。
今はあまり無理しないようにしているのですが、実家でもその調子なので気持ちがゆったりと休めることがないような気がします。
気にしないようにしているのですが、どうしても「私はダメな人間だな…」という気持ちや罪悪感が出てきてしまいます。
こんな私では生きる価値もないのではないか…と考え、消えたいとさえ思ってしまいます。
どうしたらこんなふうに考えることを止められるのでしょうか?アドバイスを頂けたらと思います。よろしくお願いします。
30代女性の方から「役に立たなくてダメなやつだ…という自己否定や罪悪感を感じてしまう」というお悩みを頂きました。
「役に立てない」と考えることで、自分自身にまるで価値がないかのように感じてしまう…
同じ悩みを私自身も抱えていました。
「役に立たなければならない」という考えに囚われて生きづらさを感じているのであれば、ぜひ読み進めてみてください!
♦生きづらさを感じる生き方の概念について書いている記事も参考になると思いますので、読んでみて頂けたらと思います!
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役に立たなければ…と頑張りすぎた私の体験談
私は小学生の中学年の頃には、すでに「役に立たなければならない」という気持ちを強く持っていました。
お金が足りないことに悩む母のために、お年玉でためた数千円をこっそり母の財布に入れておいたり、寝たきりの祖祖母のためにせっせと介護しようとしたり、とにかく家の中でも頑張っていたような記憶があります。
私は元々准看護師として病院勤務をしておりましたが、看護師を目指したのも「役に立ちたい」という気持ちが強かったためだと思います。
結婚して出産後に里帰りをしなかったのは、親に気を使うからでした。子供のくせに親に甘えることが出来ず、我が子の面倒を見ながら自分の親にまで気を使う生活を想像してしまい、想像しただけで疲れ切ってしまったからです。
仕事でも家庭や子育てでも「役に立たなければ価値がない」「役に立たないと嫌われる」と思い続け、役に立てないことがあるとひどく自分を責めたり罪悪感を持っていました。
頑張りすぎてしまった私は、うつ病やパニック障害になってしまい、その後心理学を学んだのですが、その結果「役立たずだと価値がない」と思っていた私の考えが歪んでいたということに気付いたのです。
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「役に立てないと価値がない」という歪みを矯正した方法
私は認知行動療法をはじめ、総合的に心理学全般を自分自身のために学びました。
認知行動療法で効果が出ないこともありますし、向いていない人もいるかもしれませんが、私自身にはとてもぴったりと合った療法でした。
毎日コツコツと自分で歪みを矯正するために認知行動療法を繰り返しました。
- 私は役に立てていない。
- 役に立たないと価値がない。
- 私は価値のない人間だ。
- 役に立つとはどういうことなのか?
そのような考えに毎日コツコツと向き合ったのです。
その結果、数か月後には「自分は役に立てないと価値がないのだ」という考えが「役に立てたら嬉しいけど、それと私の価値は関係ないかも…」という考えに変わりました。
今現在、このような人生相談のようなサイトを作って発信しているのですが、もしかしたら全然役に立っていないのかもしれません(笑)
なぜなら答えは自分の中にあって、他人のアドバイスは役に立たないかも知れないからです。
ですが、世の中の誰か1人にでも何かしらのヒントになればいいや…と思ってやっています。
仕事に関しても、私に出来る限りのことをやっているだけであって、必要以上に「役に立たなきゃ…」と思うことは無くなりました。
実家にいても全くと言って良いほど役立たずで、たまに昔の癖で役に立とうとすることはありますが、くつろいでいることが出来るようになりました。
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「役に立たなければ…」と思ってしまう原因とは?
どこから「役に立たないといけない」という考え方を身に付けてしまったのでしょうか?
私達は元々承認欲求というものを持っていますので、「認められたい」という気持ちは誰にでも思い当たると思います。
認めてもらいたいという気持ちを満たすためには、認めてもらう相手や行動が必要になります。
私が考える「役に立たないと…」という思いが強い原因は、やはり育った環境が大きく関係があると思っています。
- 親や家族が弱々しく可哀想な人だった(ように見えた)
- 両親や家族や学校などの環境で、良いことをした時だけ褒められた
- 親の望むことが出来ないとガッカリされたり怒られたりした
もちろん、上記の原因があると全ての人が「役に立てない自分には価値がない」とか「役立たずだと愛されない」と思っているわけではないと思います。
生まれ持った気質なども関係してくると思いますので、上記のような環境にいてもそのような思いを持たない人もいます。
一つ一つ詳しくご説明します!
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「役に立たないといけない」と思い込む原因➀親が弱々しく可哀想に見えた
子供は大人が想像する以上に、親を愛しています。
私自身も子供を持って知った事実ですが、子供が親を愛する気持ちは、親が子供を思うよりも大きいかもしれないと感じます。
愛する親(主に母親)が病気がちだったり精神的にも弱々しかったり、すごく苦労をしていて辛そうだったりすると、「助けてあげたい」「役に立ちたい」という気持ちになります。
しかし、子供には物理的に親を助けてあげることは出来ません。
- 料理ができない
- 家事ができない
- お金を稼ぐことができない
- 精神的な辛さを変わってあげることが(子供じゃなくても)できない
- 病気を治すことはできない
- DVを受けることから守ることができない
- 嫁いびりから守ることができない
上記のようなことは、できる子供もいるかもしれませんが、大体は難しいのではないかと思います。
その上、自分自身のことも一人で出来る年頃じゃなければ、自分が足を引っ張っているような気持になり、罪悪感を持つことさえあるでしょう。
「どう頑張っても役に立てない」と感じてしまい、「愛する人を助けられない私には価値がない」と感じてしまうことに繋がることがあります。
私自身、母親が苦労人で、いつも眉間にしわを寄せて頑張っているような人でしたので、すごく無力感が強かったように感じています。
しかし冷静に考えてみると、そんな小さな子供が大人を物理的に助けるということは、元々難しいんです。
健気な子供時代から、お母さんやお父さんのために
役に立ちたかったんですね。
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「役に立たないといけない」と思い込む原因➁育った環境で良いことをした時だけ褒められた
良いことをした時に褒めるって、普通じゃない?
そう思いますよね。
良いことをしてもしなくても、大前提に大きな愛情を感じられる環境であれば問題がないのですが、実は、「良いことをしたら褒められるけど、良いことをしないと言葉をかけてもらえない」という育ち方をすると、褒められたいがために頑張るようになります。
褒められると子供って嬉しいですよね。
何か親が喜ぶようなことをして褒められた時は愛情を感じられるけど、「喜ばせることが出来ないと、愛されないのかもしれない」と考えるようになることがあります。
「愛されない」というと大げさかもしれませんが、大切にされないとか認めてもらえないとか、そういった感覚で捉えてもらえると良いかと思います。
例えば以下のようなことです。
普通の話に見えるかもしれませんが、そのことで恐れを感じることもあるんです。
- テストで良い点を取った時は褒めてもらえたが、点数が悪い時は無関心だった
- お手伝いをした時は褒めてもらったが、グータラしている時は不機嫌そうに見えた
- 運動会で1位を取った時は褒められたが、2位の時は残念だという顔をされた
- 友達を助けた話をした時は笑顔だったが、喧嘩の話をした時はガッカリされた
- 何かで賞をもらったら嬉しそうだったが、賞をもらえなかった時は無関心だった
どんなことがあっても、肯定的な興味を持って話を聴いてくれる両親であれば問題ないのかもしれませんが、良いことをした時だけ褒められて、残念な話には無関心だったり上から目線のアドバイスなどをされると、傷付く子供もいるんです。
♦子供目線から書いた「親がしんどくなる原因」についての記事も書いています。参考になると思いますので、ぜひ読んでみてください!
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「役に立たないといけない」と思い込む原因➂親の望むことが出来ないとガッカリされた
先に記述したとおり、子供は親の期待にいつでも応えたいと思っています。
子供は親が大好きだし、小さければ小さいほど親の愛情なしには安心して大人になれません。
親が子供に期待したりすることで、子供は答えたいと思い頑張ります。
親が子供を自分の思い通りにしたいと(無意識でも)考えて子供に何かを期待し、それに応えられなかった時に、親にガッカリされたり怒られたりした時、子供は無力感を感じてしまう可能性があります。
- 塾に通わせてもらったけど、思うような成績の伸びがなくてガッカリされた
- 親の為にと思ってやった行動に対してダメ出しされた
- 恥ずかしくて近所の人に挨拶できず、「恥ずかしいじゃない」と親に言われた
- 家事を手伝ってと頼まれたが、失敗して手間を増やし怒られた
- 親からお出掛けに誘われた時、気分じゃないから断ったら「お前のために誘ったのに」と、ため息をつかれた
上記は私の例ですが、親の望む通りの行動が出来ずがっかりされたり怒られたりして、「私って役立たずだな…」と思いました。
もちろん、子供を傷つけようと思ってそんな態度を取っているわけではないんです(精神的身体的虐待は除きます)。
だけど、どんな親であっても、子供は親の期待に応えたいと思って頑張っていることが多いんです。
親の顔色を見て「私って役に立てていないな…」と感じて、その思いこみをずっと信じてしまうと、社会に出てからも「役に立たないといけない」と頑張りすぎる結果になるかもしれません。
♦自己否定や罪悪感を手放したいという時に読んで頂きたい記事が以下です。参考になると思いますので、読んでみてください!
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「役に立たないといけない」を手放すための考え方
まずは大前提で、「役に立たないと価値がない」とか「役に立たないと愛されない」などという考え方は、実はすごく冷たい寂しい考え方なんだということを知って欲しいのです。
人は生きているだけで価値があるし、誰かの役に立っている
ここを理解し信じることが、実は一番難しいと思います。
ここは価値観の部分で、その人それぞれの考え方だからです。
例えば私はカウンリングの時、極論ですが以下のような話をします。
- 生まれたばかりの赤ちゃんや、小さな子供には価値がないのでしょうか?何も役には立たないですよね?
- けがや病気をして体が不自由になった旦那さんは役に立たないでしょうか?価値がないですか?愛されませんか?
- 歳を取って寝たきりになった人は、何も出来ませんが、役に立たないですか?価値がない人間ですか?
すると、以下のような答えが返ってくるときがあります。
- 赤ちゃんや小さい子供は、それだけで可愛かったりするから価値があります。
- けがや病気をした人は仕方ないのであって、役に立たないとか価値がないとかそういうことではないですよね?歳を取って寝たきりになった人もそうです。それを例に出すのはおかしいです
- 私は子供もいないし家事もほとんどしていないので、嫁としても役に立っていないし価値もありません。子育てでもしていれば別かもしれませんが。
- 私は仕事しかしていませんので、役に立ってはいません。仕事なんか誰にでもできるし。
確かに、赤ちゃんや仕方なく心身に障害が出来てしまって動けなかったり寝たきりになってしまったご老人を例に出すのは納得いかないかも知れません。
でも、「役に立つ自分=価値がある・愛される」という図式は間違っていることが分かると思います。
例えば寝たきりでも赤ちゃんでも障害があっても、誰かにとっては大切な人であり、生きていてくれるだけで嬉しい存在なんじゃないかな?と私は思います。
私は一時期家事も出来ず、仕事も出来ず、子供のこともろくに出来ない時期がありました。
それでも多分、子供にとっては大切な大切な母親であり、親にとっても大切な存在であり、友人にとっても生きていて欲しい存在であったと思います。
きっとあなたも誰かの大切な人だと思います。
だから、生きているだけで役に立っているんだと思うんです。
何かが出来るとか役に立つとか関係なく、たった一人の大切な存在なのではないでしょうか?
もしも天涯孤独だったり、親に嫌われています…という方でも、友人だったり親戚だったり、誰かしらあなたを思ってくれている人はいるかもしれません。
世の中に役に立たない人なんていないんじゃないかな?と私は考えています。
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他人軸ではなく自分軸で人生を作っていく
「役に立たずで価値がない」と思った時は、まずは「役に立たなければいけない」とネガティブな思考からとっている行動を、小さなことから思い切って少し止めてみてください。
その上で周囲を観察してみてください。
どれほどの影響力があるか、どれほど嫌われるのか、ちょっと観察してみてください。
自分自身のポジティブな考えのもとに「役に立ちたい」と思う行動であれば人生を辛いものにはしないし、逆に向上心や優しさにつながる行動です。
しかし、「役に立たないから嫌われる」とか、「役立たずだと愛されない」などというネガティブな思いからしている行動は、”他人の目線からの私”を意識しているので、いつもビクビクして恐れを感じる行動かもしれません。
以下のような「他人軸」と「自分軸」を少し意識してみると、違いが分かってくるかもしれません。
- 仲間外れにされたくないから役に立つことをする
- モラハラを受けないように役に立とうとする
- 大切にされたいから役に立とうとする
- 嫌われたくないから役に立とうとする
- 私がそうしたいから役に立ちそうなことをする
- 自分自身の体調と相談して行動する
- 理不尽なことに対しては建設的な行動を考える
- 人に嫌われても自分や他者にとってベストだと思えることをする
- 私が大切にしたいと思う人やことに最善を尽くす
自分自身に愛情をもって接して満たされたら、他者へも自然と愛情や優しさをもって接することが出来るようになります!
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「不得意なこと」より、「得意なこと」で役に立つ
人それぞれ得意・不得意があると思います。
何だか人生が辛い時って、不得意なことを自分の感情を押し殺してやっている時かもしれません。
もちろん社会の一員として、不得意なことをやる必要がある時もありますよね。
それでもやっぱり得意なことをしている時の方が自分も楽しいですし、効率も良いですし、自然と人の役に立つと思います。
無理につらいことを頑張って役に立とうとするより、自分の得意なことで役に立てることがあるのであれば、それが一番良いのではないでしょうか?
娘の話を聞いて感じたので、小学校の活動で例を挙げてみます。
得意なこと | 係 | ||||||||
人前で話したり人をまとめるのが得意 | 学級委員 | ||||||||
考えることが得意 | イベント係 | ||||||||
お絵描きが得意 | ポスター係 | ||||||||
運動が得意 | 運動係 | ||||||||
細かいことに気が付くのが得意で花好き | 花のお世話係 | ||||||||
テキパキと行動するのが得意 | 配達係・黒板係 |
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まとめ
いかがでしたでしょうか?
私は役に立つかどうかで人の価値は決まらないと思っています。
誰かに愛されたいと思ったり、自分に価値を作りたいと思ったり、そのような動機で役に立とうとすると苦しい気持ちになるかもしれません。
どちらにしても大切なのは、自分がその行動を決めているということです。
自分を大切にする行動をしてもいいし、他者を第一優先で考える行動をしてもいい。
ただし、それを自分が選んでやっているのだということを胸に置いておいてもらえたらと思います。
もしもカウンセリングを受けてみたいと思いながら、ちょっと対面では時間もないし敷居が高い…とお考えの方は、メールや文字のやり取りでの相談を低価格で行っていますので、ぜひご相談ください!
3日間お悩みを聞かせて頂き、根本原因を見付けます 恋愛や人間関係、心のお悩みが解決に向かうようにお話を聞きます
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